イキフンGo To Heaven

心模様とかの記録

ネイタル太陽のサビアンシンボルと、カルマの星『土星』

”修行する事がないレベルまで自分の魂が高められたら、

もうこの世に生まれない。生まれてきたということは

クリアすべき課題があるということ”

的な事をヨガ教室の先生から聞いたことがあります。

前の人生でやり残した課題=カルマ

課題ってなに~。辛いのヤダよ~。

って心底思ったものです。

同時に、なにをやり残したかしら?と思ったものですが、

サビアンシンボルの解説を何度か読むうち、私の魂が

持ち越した宿題がサビアンに暗示されてはいないだろうか?

という考えに至ったので、記録しておこうと思います。

 

  1. 私のn太陽サビアンシンボルに暗示されていること
  2. 私の家庭環境
  3. 二度とごめんだぜ!サターンリターン ~土星はつらいよ~
  4. 覚醒
  5. 土星=カルマ
  6. サターンリターン以後の自分 ~遅い反抗期~
  7. 結果的に良かったサターンリターン

1. 私のn太陽サビアンシンボルに暗示されていること

私のn太陽サビアンシンボル

『首長に自分の子供たちの命ごいをするインディアンの女性』

「なんのこっちゃ」が率直な感想です。

詩の解説は次のとおり。

”・慣れ親しんだ古い世界から独立する

 ・自分がすべきこと、すなわち縁を切ること

  ・新世界と旧世界の間で葛藤する度数    ”
(引用元:愛蔵版 サビア占星術 松村潔 著)

また、太陽のサビアンシンボルは『生きるメインの目的』だと

書かれています。冒頭の説明をすっ飛ばしてサビアンの詩文だけ

先に読んでいた私は、自分だけの大発見かと興奮したのですが、

しっかり本に書いてありました。

サビアンは、具体性のない詩文で苦手でしたが、

「このことか!」と、身をもって暗示内容を感じられたことで

印象が変わりました。

 

さて。次章からは、サビアンが暗示することが実際どんなふう

であったのか、生い立ちから順を追って書いていきます。

 

2. 私の家庭環境

家族構成は父・母・兄の4人家族。

父:不器用。子供の躾や教育に口を出さない。

母:厳しい。とにかく厳しい。保守的。批判気質。内弁慶。

  例:罰として裸足で家の外に出される

    母の選ぶ服を断ると「じゃあ買わない」と極端

兄:私の4つ上。早熟で小学校低学年時点で達観した雰囲気

  をもつ。近所の評判は良く、母に頼られていた。

  大人の常識の目線で私に何かと口出しする。

  例:欲しいものじゃなくて必要かどうかで選べ

私:自分の美意識・こだわりがあり、周りとはズレた感性を

  持っていたよう。

母や兄のようなタイプからしたら、私はだいぶおかしな子

だったようで、母の常識という型にギュウギュウと押し込め

られていたように思います。恐怖政治。

 

一時、本気で『もらわれっ子』だと思っていましたww

私も初めは威勢よく反発していましたが、それを凌駕する

強権発動を何度もされると、いつの間にか反抗も自分で考える

こともしなくなります。

 

3. 二度とごめんだぜ!サターンリターン ~土星はつらいよ~

『自分の考え』をどっかに置いてきたまま成長した私もいい年頃

となり、27才で同じフロアで働く人と結婚しました。

結婚式の準備も難ありで、『結婚は家同士の結婚でもある』

ようなことを聞きますが、本当にそうだと思います。

結婚生活は概ね平穏。どこにでもいる夫婦だと思っていました。

が、それは突然で。走っていたレーンが突如変わったような。

前夫の見たことない一面を知る事となり、私は31才になる年に

離婚をすることになります。

 

離婚はサターンリターンの時期にバッチリ合っており、

占星術を学んで一番驚き感心したことです。

試練の形は人それぞれだそうですが、私の場合離婚という

形で表れたということです。

次は試練の一例になります。

 

〈心のひだを成長させてくれた数々の出来事〉

・極度の悲しみで心臓が痛くなることを体験

 『心臓がえぐられるような』とはこのことだ、と。

・前夫のご都合主義に『我田引水』がどういうものかを

 教えらえる

・職場の後輩から不倫の目撃報告を受けるたび『体面を失う』って

 どんなものかを知る

・知られてもなお不貞は続き、『節操のなさ』を見せつけられる

・事実を突きつけられるたび、痛めつけられるたびに

 『真綿で首を絞める』とはこのことだ知る

・前夫につじつまが合わないおかしな主張を展開され、

 これがその『支離滅裂』か、と感じる

 

試練を経て、人間くささを得られました。

 

4. 覚醒

離婚届に判をつく前に、前夫の暴力が決定打となり別居をする

のですが、その日の話し合いで私は覚醒することになります。

 

私「嫌な事に折り合いつけてやっていくのが

  大人になるってことじゃないの?

  それが家族になっていくってことじゃないの?」

 

前夫「お前らとは思想が違うんだよ!!!」

 

ぱっかーーーーーーーんっ!!!

(私の脳内に響いた音)

 

本当に、ぱっかーんだったんですよ。

頭をレンガか何かでぶん殴られたような、すごい衝撃で。

近いものを挙げるなら、ガンダムSEED種割れ

(少しマニアックでしょうか)

 

ぱっかーんの次に来たのは「思想ってなんだ?」

という疑問でした。考えることを長らくしてこなかった

私の身体を稲妻のごとく走り抜けた言葉でした。

『自分の思想』を持とうとすら思った事がなかった私は、

この出来事をきっかけに「自分の考えは、実は自分の考え

ではないのではないか」と思い始めることになります。



5. 土星=カルマ

思想について出した結論は、自分が思っている常識などの

考えの一切は、自分で良し悪しを考え抜いて身に着けた

ことではない、ということでした。

母や兄が私に植え付けたフィルターを通して、私は世界を

見ていた・・・と気づけました。

答えを見出した時、アイボンで目を洗った後のような、

視界がクリアになった気分で清々しかったです。

 

ここでひとつ。

この記録は、決して家族批判をしているわけではなく、

家族には愛をもって育ててもらったと感謝しています。

事の良し悪しがわからない時分は、親の思う常識内で

生活するものですから、ウチが特異だったとは思いません。

 

多感な思春期に『自分』を確立し、大体の人は反抗期を

やった上で大人の階段を昇るのでしょうが、私はそういう

適切なタイミングでしっかり反抗期をやり倒さなかった。

これが問題だったと思っています。

 

これこそが、”慣れ親しんだ古い世界から独立する” だったの

かな思います。

『問題に気付き、自分の意思で歩いて軌道修正する』

 

”自分がすべきこと、すなわち縁を切ること”は

旧世界:家族の常識という囲いの中で生きている自分

新世界:自分がどう思うかの基準で、物事を見極める自分

『自分の足で人生を歩くこと』が、私の魂の宿題(カルマ)

だったんじゃないかなぁと。

 

6. サターンリターン以後の自分 ~遅い反抗期~

行動力だけはあるので、問題に気付いてからは早かったです。

物理的に心理的に家族から距離を取りました。

30過ぎての反抗期ですww

 

暴力の一件から実家に身を寄せていたのですが、ソッコーで

家を探し実家を出ました。そして、こちらから実家へ連絡は

しないことにしました。

初めての独り暮らしは解放感にあふれ、楽しかったです。

 

次に、何か判断する時は常に「本当に自分がそう思うか」を

自問自答するようにし、意識的に「やだよ~」とかの感情を

言うようにしました。はじめに湧き出た感情に素直になる

レーニングをしたという感じでしょうか。

これにより、自分の中のNGのハードルがだいぶ低くなりました。

 

”さまざまな価値の比較が頻繁に繰り返されますが、そのプロセスを

経てしだいに本当に自分がすべきことが整理されてゆく”

と、松本潔先生の本にあり、その通りであることにただただ

驚いています。

 

7、結果的に良かったサターンリターン

ちなみに、今は父・母・兄とも良好な関係です。

それから、ボタンの掛け違いが重なって事故は起きる、

と思っているので、離婚は私が未熟でなければ、防げたもの

だったと思います。

『火種は見過ごさず消火する』という共通認識を前夫と持て

なかったこと。私が思う離婚理由です。

(ですから、サターンリターン=離婚危機というわけではない)

 

辛く苦しいことでしたが、それがなければ今の自分はない。

私に宿る魂の成長のため必要なプロセスだったと理解して

います。覚醒しちゃったので、あのまま離婚しなかったらと

思うとゾッとします。

 

というのも、私のn太陽はどの天体ともアスペクトを組んで

おらず、これを『主体性がない』とか『目的が定まらない』

など、人生や目的をデザインできずフラフラしていると解釈

(あくまでひとつの解釈)するのですが、サターンリターンや

土星=カルマ、サビアンについて深く考えるまでピンときて

いませんでしたが、こうやって振り返ると、覚醒前の私は

まさにそうでした。。汗

覚醒前だって学校活動など主体的に取り組んでいたけれども、

たぶんもっと根っこのところが人任せだったのかと。

覚醒以降の私は、自分の足で人生を歩いている、という足裏の

感覚があります。

その感覚がない=ノーアスペクト・・・なのかな、なんて

自分で納得しておしまいにしたいと思います。